2015年、バンクシーはアート型テーマパークDismaland(ディズマランド)を開催。それは、夢の国「ディズニーランド」を真逆にひっくり返したようなテーマパークだった。期間は8月21日から9月27日までの約5週間。
ちなみに、DismalandはDismal(憂鬱な、陰気な)とLand(ランド、土地)を掛けた造語だ。さらに、Disneyland(ディズニーランド)をパロディー化し、皮肉ってもいるのだ。
ディズニーランドとディズマランド。この似て非なるテーマパークの開催地はバンクシーの故郷ブリストルから電車で約1時間。日本で言えば、ちょっと昭和のにおいが残るような海辺のリゾート地「Weston Super Mare=ウェストン・スーパー・メアー」だった。
バンクシーはあるインタビューで「子供の頃、夏になるとよく家族と一緒にウェストン・スーパー・メアに遊びに来ていた。」と話していたこともある。
また、この開催地がタイトルになった作品もある。こちらがその作品だ。
2003年に発売した「Weston Super Mare」
子供の頃に訪れた思い出の場所「Weston Super Mare」。同じタイトルの作品を制作するほどバンクシーにとっては馴染み深く、思い出のある街だ。
バンクシーが子供の頃は有名なリゾート地のようだったが、今はその面影はどこにもない。「今年はバンクシーがDismalandを開いてくれたおかげで、久しぶりに活気が戻ってきたわ!」と宿の女将さんが嬉しそうに話してくれたのが印象的だ。
約5週間開催したディズマランドの来場者は延べ15万人。そして、約35億円の経済効果をウェストン・スーパー・メアにもたらした。
実際に僕も4日間 ウェストン・スーパー・メアに滞在。滞在中に4回もディズマランドへ足を運んだ。
地元のタクシードライバーに聞くと、こんなことを言っていた。
普段こんなに人が訪れることはないけど、バンクシーのおかげで儲かっている。
夏でも、宿泊客が少なかったディズマランド周辺のホテルは、予約を取るのが難しくなるほどディズマランドの集客力は凄まじかった。
バンクシーにとっては、15万人の来園者や35億円の経済効果よりは、自分が子供の頃、楽しんだ思い出が残る街に活気が戻ったことが嬉しかったのかも知れない。
英国のテレビ局「Channel 4」が取材したディズマランド内部の動画
こちらがディズマランドを取材した当時の動画だ。
世界中から58人のアーティストを招待
ダミアン・ハーストやジェニー・ホルツァー... David Shrigley(ディヴィッド・シュリグリー).... ジェームス・コーティーなどを含む、58人のアーティストがディズマランドに招待された。
ディズマランド内のギャラリースペース「The Galleries」を中心に、園内の至る所に彼らのアート作品が展示された。このディズマランドから、数人の世界的アーティストも生まれた。
ジェフ・ジレットの展示作品
その代表的な人物が、バンクシーに多大なインスピレーションを与えた米国人アーティストのJeff Gillette(ジェフ・ジレット)だ。彼はスラム街の中に佇むミッキーをもう、30年近く描き続づけている。ちなみに、上の画像の右下の作品が、ディズマランドの公式ポスターとして販売された。
真ん中の画像の観覧車の作品は、バンクシーが直々にリクエストを加えた作品だそうだ。ちなみに、観覧車の中心部のミッキーの顔を消してくれと頼まれたそうだ。これは、ジェフ・ジレット本人にあった時に直接聞いた話だ。
Josh Keyes 「Stampede」
次に、ディズマランドで注目を浴びた代表的アーティストが「Josh Keyes」かもしれない。Josh Keyes「ジョシュ・キーズ」もアメリカ人アーティストで、ジェフ・ジレットの作品の隣に彼の作品が展示されていた。上の画像の作品は「Stampede」という作品で、実は、これもディズマランド内で配布されたフライヤーに印刷されていた。
ディズマランド以前も多少は人気があった。しかし、ディズマランド参加後に人気が急上昇して、彼の作品に一気に注目が集まった。
Paco Pomet「Internacional」
もう一人は、スペイン人アーティストのPaco Pomet(パコ・ポメ)だ。上の作品のタイトルは「Internacional」。クッキーモンスターとゲリラ兵士がトラックに乗り込んだ作品に世界中から視線が集まった。この作品も園内で配られたフライヤーに印刷されていた。
ディズマランド開催後2−3年のこの三人の人気は凄まじかった。発売する作品のほとんどが飛ぶように売れていた。日本のバンクシー展でも、ジェフ・ジレットの作品が展示されていたりした。
今、改めて考えてみるとディズマランドの影響力が大きかったことが伺える。
お昼と夜の2部生 チケット有りでも長蛇の列
1日 4000枚のチケットがオンラインで販売。そして、事前にチケットを購入できなかった人のために、当日券 500枚が現地で販売された。しかし、チケットを事前に購入していたとしても、入場に2〜3時間待つ必要があった。
当日券を求めて並んでいる人はさらに待っていた。何も無い海辺の田舎街はしばらく見たことがないような人、人、人の海で溢れていた。
ディズマランドは昼と夜の2部制でオープンしていた。
ディズマランド内でのライブ
夜の部ではライブが開催された。毎回違うアーティストが登場。
夜はライトアップされ。週末になると、Blurのフロントマン(デーモン・アルバーン)や、Pussy Riotらのライブが開催。文字通り大人のための一大アミューズメントパークだった。昼はアートとテーマパーク。そして、夜はライブ演奏にと、アートだけなくエンターテイメントに溢れた催しだった。
園内の飲食店はすべてベジタリアン
ディズマランドの園内にはBar、ピザ屋やひよこ豆のコロッケを包んだファラフェル・サンドイッチを販売する屋台があった。しかし、なぜか、どれもお肉を扱うお店はなかった。
2013年10月ニューヨーク全体を巻き込んで繰り広げたパフォーマンス「Banksy Does New York」で、食肉用として屠殺場へ運ばれる牛、豚たちのぬいぐるみをトラックに載せてお肉屋さんの前を走らせるパフォーマンスをしていたこともある。
なので、バンクシーはベジタリアンなのかも知れない。
ディズマランド閉園後は...
ディズマランド閉園後、ディズマランド建設に使った資材のすべてが、当時フランス北部のカレーにあった難民キャンプに送られた。そして、その資材は難民のためのシェルター・仮設住宅建設に使用された。
P,S,
ディズマランドは、Dismal(憂鬱)から当時、「憂鬱になるテーマパーク」と紹介されていたが、予想に反し、とても刺激的で、夜は美しかった。
4日間、何度も足を運んだので、当時の写真を見つけ次第、少しずつ、紹介する記事を書いて行きたい。
楽しみにお待ち下さい。